01年6月号 「名越稔洋×マーブルマッドネス」

一部のオールドゲーマーからも注目されている『モンキーボール』。
その開発者である名越稔洋氏と、17年前に発売された伝説の名作との関係に迫る。

11/01/06 アップ

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●本文

 先日のAOUエキスポで発表され、この5月に発売が予定されている『モンキーボール(アミューズメントヴィジョン/セガ)』。エキスポでプレイした人や、本誌5月号の紹介記事を読んだ人の仲には、「あるゲーム」を思い出した人も少なくないだろう。
 「あるゲーム」とはアタリ(※1)が84年に発売して当時のマニアを虜にした伝説の名機『マーブルマッドネス』である。そして、こう思った人も多かったのではないだろうか? 「このゲームの開発者、相当マーブルマッドネスが好きだったのではないか?」と……。
 今回のオールドゲームミュージアムは、アミューズメントヴィジョン代表取締役社長にしてモンキーボールの発案・開発者、名越稔洋氏とマーブルマッドネスをお題として進めていこう。

■「一応クリアはしましたよ」

 予想通り、名越氏は学生時代マーブルマッドネスにハマっていた。プレイヤー時代の自らを「ライトユーザー」「マニアレベルは10段階評価で5くらいだった」と振り返る彼だが、これは謙遜含みの言葉とみていいだろう。
 なぜならば、マーブルマッドネスはルールこそ単純だが難度は決して低くなく、いわゆるライトユーザーと呼ばれるプレイヤー層が全面クリアできるようなゲームではなかったからだ。全6面と面数自体は少ないものの、4面以降は1面ごとが壁になるようなゲームで、当時のマニア達もそう簡単にクリアできたわけではなかったのである(※2)。逆の見方をすれば、マーブルマッドネスに対するときの彼は、ライトユーザーではいられなくなるほど、このゲームが好きだったのかもしれない。

■トラックボールへの想いとバナナレバー

 名越氏も、マーブルマッドネスに対しては「あのゲームに文句をつけるところはほとんどない」と、手放しで絶賛。もっとも、全面クリアするまでプレイした上でこのゲームを誉めない人は、あまりいないと思われるのだが……。
 マーブルマッドネスのどこが好きだったのか? といった問いに「ボールを操るためにトラックボール(※3)を使うダイレクトな一体感、それだけですべてが語れるところ」との答え。やはり、彼も多くのマーブルマッドネスファンと同様、トラックボールという操作系に少なからぬ思い入れを持っていた。マーブルマッドネスをプレイ中に、お約束である「ちょび肉(※4)」をした話を「今だったらPL法で大変なことになりますよね」などと、冗談交じりで嬉しそうに語ってくれたのである。
 ではなぜ、モンキーボールではトラックボールを採用しなかったのだろうか? マーブルマッドネスにおけるトラックボールの捜査官が好きだったプレイヤーなら、誰しも思うところだが……。名越氏がプレイヤー時代に、マーブルマッドネスにハマっていたことを知ると、その疑問はますます膨らんでくる……。
 なぜトラックボールを採用しなかったのか? という問いに対しては、「これまでにもあったトラックボールより、レバーがバナナの形をしたものの魅力のほうが、ずっと大きかった」と答えてくれた。家庭用ゲームの台頭により、アーケードゲームの存在価値が問われる今だからこそ、「ゲーセンでしか触れないものを」という、アーケードゲーム開発者としての想いがそこにはあった。
 企画を練っている段階で、自キャラを猿と決めてからはバナナ型レバー抜きでは考えられなくなっていた(※5)、とのこと。AOUに出展した際、筐体の前を通りかかった一般人が訝しげにバナナ型レバーを触って(プレイはせずに)立ち去る光景を見て、「勝ったと思った」と語ってくれた。

■怒りのベクトル

 名越氏はこんなことも言っていた。「マーブルマッドネスは、失敗したときに、自分に対して怒りを覚える。失敗したときにゲームに対して怒りを感じてしまうゲームより、自分に対して怒りを覚えるゲームのほうがハマれる。」
 正直、この発言には唸らされた。マーブルマッドネスをプレイしていたとき、このような感覚を持ったプレイヤーは少なくないのではないだろうか? やはりこの人、今は開発者でも、根っこの部分の感覚がゲーマーっぽいのである(※6)。
 面白かったのでちょっとつついてみると、あっさり口を割って(?)くれた。やはり彼も、マーブルマッドネスはかなり怒りながらプレイしていたクチだったというのである。
 「なぜ失敗したのか。次はどうすればいいか、というのが分かりやすいゲームはいいゲームだと思う」という発言にも、マーブルマッドネスに対する想いが見える。

■遺産

 今回印象に残ったのは「過去の作品で、少しルールを焼き直ししただけで(※7)、すごく面白くなるゲームはたくさんあるんですよ」という発言。モンキーボールもこれに該当する作品だという。
 「焼き直し」という言葉はあまりいい響きではないが、マーブルマッドネス→モンキーボールという流れにマイナスイメージを感じないのは筆者だけではないだろう。
 モンキーボールに関しては、焼き直しとかリメイクとかではなく、17年の歳月とメーカーの垣根を超越して出現した「続編」であると言ってもいいのではないだろうか? 単にタイトルがモンキーボールというだけであって、そのスピリッツは「マーブルマッドネス2001/名越REMIX」とでも言うべきものなのである。少なくとも筆者は、モンキーボールをプレイすることと、今回のインタビューを通じて、そう感じた。

 ビデオゲームが登場してから30年以上が経過し、アイデアは出尽くした(※8)感もある。しかし、先人の残した遺産の中には、未だ掘り尽くされていない、宝の山も眠っているのではないだろうか。

■※1:アタリ
1972年、アメリカに誕生した世界初のビデオゲーム専門メーカー。元祖ブロック崩し「ブレイクアウト」など、世界的ヒット作をリリース。ワーナーコミュニケーションズによる買収、ナムコアメリカとの合併などを経た後、ミッドウェイに吸収され、その歴史に幕を下ろした。

■※2:そう簡単にクリアできたわけでは〜
筆者もこのゲームにはかなりお金を吸われた。4面以降は本当に1面1面がきつくて、クリアするまでにはかなりの期間を要した記憶がある。特に6面にいけるようになってから、クリアするまでがキツかった印象が強い。初めて6面クリアできたときは、本当に嬉しかったなあ。

■※3:トラックボール
コンパネに埋め込まれたボールを転がすことによって、キャラクターを操作する入力デバイス。通常の8方向レバーより微妙な操作が可能。「ワールドカップ(85年/テーカン)」「サイバリオン(88年/タイトー)」「アウトトリガー(99年/セガ)」など、なぜか面白い作品が多い。

■※4:ちょび肉
コンパネとトラックボールの微妙なスキ間に、手指の肉や皮をはさんでしまうこと。地域によってその言い方は様々である。かなりの激痛を伴い、場合によっては流血騒ぎに発展する。マーブルマッドネスやワールドカップの場合、かなりパワフルな入力を要するため、引き起こしやすい。

■※5:バナナ型レバー抜きでは〜
名越氏も自キャラを猿と決めるまでは、トラックボールにもかなりの未練があったそうだ。また、「バナナ型レバーの企画が通らなかったらトラックボールにしていたか?」と聞いたところ、難易度の調整が関係してくるので、トラックボールに変更することはできなかったとのこと。

■※6:感覚がゲーマーっぽい〜
プラネットハリアーズにはなぜ2周目があるのか? という質問をしたら、「昔のゲームはうまければ長く遊べたんだぞ、という意味を込めている」という答えが返ってきた。こんなセリフ聞かされたら、「ライトユーザーだった」とか言われても、到底信じられませんなぁ。

■※7:焼き直ししただけで〜
モンキーボールのように、すごく面白くなる場合もあるが、当然逆のケースも存在する。数年前に某社から発売された、トラックボールで●●●●●を転がすゲームは、かなりキテた。トラックボールで球転がしするゲームを作れば、必ずしも面白くなるわけではなかったようだ。

■※8:アイディアは出尽くした
名越氏は、1972年にアメリカに誕生した、アーケードならではといえるアイデアはたくさんストックしている、と語っていた。「例えば、モニターを縦に4つ並べたテトリスとか面白そうじゃないですか?」とか、かなり大胆な発言もあった。今後も、アミューズメントヴィジョンの作品には注目していきたい。

●コラム(左ページ上段)
名越稔洋
株式会社アミューズメントヴィジョン 代表取締役社長

代表作
DAYTONA USAシリーズ
SCUD RACE
SPIKE OUTシリーズ
PLANET HARRIERS等

昭和40年6月17日生まれ
1989年 (株)セガ・エンタープライゼス入社
     第2AM研究開発部所属
1998年 同社 第11AM研究開発部
     部長就任
1999年 同社 第4研究開発部
     部長就任
2000年 (株)アミューズメントヴィジョン
     代表取締役社長就任

Q:開発という立場になる前は、いつごろ、どんなゲームをプレイしていたのですか?

A:いわゆるライトユーザーで、面白そうな新作はとりあえずプレイしましたし、難しそうだと思ったら、手を出さないこともありました。メダルゲームなんかも遊びましたね。
 高校生のときはあまりゲームはやりませんでしたが、大学生になって時間に余裕ができてから、よくゲームセンターに行くようになりました。
 当時は『ギャラガ』などで遊んでいましたが、『ギャプラス』くらいからはシューティングゲームについていけなくなりました。

Q:特に好きだった作品は?

A:『アウトラン』『アフターバーナー』などの体感ゲームはすごく好きです。けれど、体感ゲームは『パワードリフト』からついていけなくなりました。その頃に入社して、開発現場にパワードリフトの筐体が残っていて、「ああ、手に負えないゲームを作っている会社に入社したんだな……」と思ったのを覚えています。

Q:ゲーム開発に就こうと考えた動機は?

A:映画学科に在籍していて、映画業界、映像の製作をやりたかったんですが、なかなかいい職がなかったんです。
 そこで、純粋に好きになれることを考えて、ゲーム好きだし、ゲーム業界で働いていこうかな、と思いました。
 80年代中盤ごろから、急速にゲームの映像が発達するのを目の当たりにして、これからゲーム映像が発展して、映画と比較されるようになっていくのを見るのも面白いだろうと思いました。
 だけど今は、ゲームの映像を映画っぽくし過ぎる方向性にも疑問を感じています。





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